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   <title>泣ける2ちゃんねる 泣ける話 投稿掲示板</title>
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   <updated>2007-10-13T03:30:21Z</updated>
   <subtitle>泣ける2ちゃんねる、泣ける話、泣ける映画、泣ける歌、泣ける本を紹介しています。　　　　　　　　　　　　みなさんのおすすめの泣ける2ちゃんねる、泣ける話などを紹介しています。</subtitle>
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   <title>あの子がおしえてくれたもの</title>
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   <published>2007-10-13T03:24:43Z</published>
   <updated>2007-10-13T03:30:21Z</updated>
   
   <summary>子供が外に遊びに行こうと玄関を開けたとたん、みはからっていたのか猫は外に飛び出していってしまいました。
そして探して見つけ出した時にはあの子はかわりはてた姿になってしまった。 
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      子供が外に遊びに行こうと玄関を開けたとたん、

みはからっていたのか猫は外に飛び出していってしまいました。

そして探して見つけ出した時にはあの子はかわりはてた姿になってしまった。 

      私はバスタオルにあの子をくるみその場で泣き崩れてしまった。

自転車で通りすぎる人、横を走る車、

みんなが止まり「どうしたの？大丈夫？」と声をかけてきてくれた。 

でも、その声にも答えず私は声をあげてあの子を抱きかかえて泣いた。

まだ体があたたかったことが、悔しかった。 


毎朝、あの子はきまった時間にパパを起こし、えさをねだるのが日課であった。 

パパの眠い目をこすりながらも、おねだりするあの子にえさをあげてから朝の一服をする。 

あの子が死んだ次の日の朝、パパはいつもの時間に起きてきた。 

そして、ソファーに座りたばこに火をつけた。今日は足にまとわりついてくるあの子がいない。 

パパの背中がさみしそうで、また涙がこみあげた。 


あの子はいつも長男と一緒に二階に上がり長男のベットで一緒に寝ていた。 

あの子が死んだ時、呆然としていた長男が、ベットで夜泣いていた。 

私は声をかけてあげることができなかった。

親として悲しんでる子供をなぐさめてあげなければいけなかった。

でもその長男の姿を見た私はその場でうずくまって声を殺して泣き崩れてしまった。 

食事の用意をしていても、掃除をしていても、涙が勝手にあふれてくる。 

泣いている私に息子は、「次はどこ掃除する？手伝うよ」とやさしく声をかけてくれた。 

「ママが隊長で、僕は副隊長になって掃除しようっ！」

泣きっぱなしでぶさいくになっている私は、 

「隊長ばっかで部下がいないじゃん」とぐしゃぐしゃの顔で笑った。 

あの子が死んでから初めて笑った。 


くよくよしていたらいけないことを息子が教えてくれたようでなさけなかった。 

今日で、もう泣くのは終わりにしよう。 

あの子とのいっぱいの思い出を胸にしまい、今日からいつものママにもどるからね♪

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   <title>俺たち家族</title>
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   <published>2007-10-12T03:32:05Z</published>
   <updated>2007-10-12T03:38:05Z</updated>
   
   <summary>―俺と弟、おやじ― 
これが俺の物心ついた頃からの家族だった。かあちゃんがいない 
理由は小学生の時になんとなく。かあちゃんの親がおやじに額を 
畳にこすりつけるような詫びをしにやってきたのは知っているが 
それ以上は知らない。 </summary>
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      ―俺と弟、おやじ― 
これが俺の物心ついた頃からの家族だった。
かあちゃんがいない理由は小学生の時になんとなく。
かあちゃんの親がおやじに額を畳にこすりつけるような詫びをしにやってきたのは知っているが 
それ以上は知らない。 

      ていうかどうでもよかった。 
トラック乗りのおやじもいつ家に帰ってくるのかわからん男だったから、
いない時はじっちゃんのアパートに、いる時は３人で家に、という具合だ。 

じっちゃんとこと違うのは、うちの方が雨漏りがたまにするくらい。 
大した違いはない。 
「兄弟一致団結して」というのは嘘八百。喧嘩は絶えず。 
おやじがいてもいなくても関係なく、殺伐とした兄弟だったように思う。 
そんなある日、おやじが土日2日間休みが取れたからと言う。 
そしておもちゃ屋につれてってやると言う。 
おもちゃ屋かよ、別に欲しい物なんてねーよ、と思ったが口には出さない。 
弟も弟で、興味ない様子。果たして休日を有意義に過ごせるのだろうか？ 


日頃薄汚いおやじが朝から床屋に行った。
俺と弟はじっちゃんの家に前もって用意してもらった新しい服を取りに行った。 
3人が合流したのは10時30分。こぎれいな3人に汚い黄色の軽自動車で向った。 
到着。とりあえず昼を食って弟と距離を保って歩いていると後ろを歩いていたおやじがいない。 
「いねーじゃねーか、おやじが迷子になるなよな」「そうだな」 
弟と意見が合った。 
探していると、見つかった。ボードゲームのコーナーにいる。 
しゃがみこんで何かを手にしている。 
「将棋セット」 
駒と折りたたみの板のセットだ。将棋?　なんで将棋なんだよ、と思った俺。 
とりあえず、俺はその後学校で知ってるやつに聞いてメモして家に帰った。 
弟はとっくに将棋のことなんか忘れてテレビを見ている。
嫌がる弟に強制的にルールを覚えさせ、ひとまずやってみた。3分で終わった。 
勝負がついたからではない。つまらんくなって弟が駒を投げたからだ。 
その日から将棋セットは押し入れの奥へ行った。 


今日は喪主である俺がいろいろと動いた。 
身内もほとんどいない俺たち家族だが、盛大に行いたいとの俺たち兄弟の考えで、
おやじにとって満足できる出来映えだっただろう。 
弟は仕事先の海外から家族と共に、俺は離婚した1ヶ月後にその日を迎えた。 
おやじは体を壊したのが3年前、寝たきりになっってしまったのが半年程前だ。 
痴呆？みたいなものにもなっていた”らしい”。苦しまずに逝けたのが幸せか。 
棺を前にして俺と弟は話しをした。 
「あの時のこと覚えてるか？将棋セット」 
「覚えてる。おやじ、嬉しそうだったな。」 
急に俺は、探して見たくなって押し入れを探した。すぐ見つかった。 
弟と一緒に箱から開けてちょっとやってみようかという話しになった。 
駒を並べ終え、始まって10分ほどした時、
ヘルパーのＥ子さんが立ち止まったままこちらを見ていたのに気がついた。
Ｅ子さんにはおやじのことで本当に世話になった人だ。 
「あ、どうかなさったんですか？」俺は聞いた。 
「お父さま、今年の初め頃でしたかしら、その駒を握って涙を流しながら、 
仲良うしろよ、仲良うしろよ、とおっしゃっていたもので・・・」 
みるみるうちにＥ子さんの顔が紅潮している。 
目の前の弟は下を向いたまま動かない。 
俺は、箱の中に入っていたおやじが自分で鉛筆で書いた駒の動き方のメモを見ながら 
泣いた。 

おやじ… 

うまく書けないが、これが俺たち家族でした。
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   <title>人を憎むな</title>
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   <published>2007-10-11T03:19:06Z</published>
   <updated>2007-10-11T03:22:33Z</updated>
   
   <summary>俺は、今思うと幸せな家庭に生まれたんだと思う。 
公務員の父、専業主婦の母、３つ離れた弟が一人。 
ごく普通の田舎の核家族だったと思う。 </summary>
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      俺は、今思うと幸せな家庭に生まれたんだと思う。 
公務員の父、専業主婦の母、３つ離れた弟が一人。 
ごく普通の田舎の核家族だったと思う。 


      しかし俺が消防３年だった頃、突然両親が離婚、原因はおやじの浮気 

母親と俺と弟は、追い出される形で、家を出る事となった。 
母親は体が弱く、そんなに無理して働ける身体でもなく、無理をしていたんだと思う 
それでも、ずっと働き詰の母親の姿を見るのが子供ながらに、辛かった覚えがある。 
俺達がいるせいでこんなに辛そうに必死で働く姿を申し訳ない気持ちで一杯だった。 



そして厨房に上がった頃、おやじは死んだ。胃癌だったそうだ。 
浮気相手に見捨てられて見取ってくれる人間すら居なかったらしい。 
俺はその事に優越感を感じる位、おやじを憎んでいた。そして捻くれてしまっていた。 
やさしい母親の諭してくれた言葉すら忘れて、、、 

それでも母親は、おやじを憎むなと俺達兄弟に諭した。全て自分が悪いのだと、、、 
人を憎む人間になって欲しくないと、、、 



そして時がたち、母親は高校へ行かず働くといった俺を高校まで行かせてくれた。 
親子３人貧乏で本当に何も無い暮らしだったが俺は幸せを実感していたんだと思う。 
やさしい母のおかげか俺も弟も幸いグレずに晴れて高校を卒業させてくれた。 

それから俺は営業の仕事をして母親と弟を大事に楽にさせてやろうと、必死に働いた。 
昼も夜も、時にはクライアントを騙す様な仕事もしてきた。 
それはあの二人を思うと働かずには居られなかった。 
そして母親が働かずにすむくらいの収入を得て、家も買い、弟も就職し働き始め 
弟は結婚する事にもなり、婚約者も俺達の事を判ってくれていた。 
婚約者を連れてきたときの母の嬉しそうな顔が今でも脳裏に焼きついててさ、、 
やっとこれで全ての幸せを買い戻した、これからはもっと幸せにならなきゃなって、、、



そんな母と弟が去年高速道路で事故に遭い帰らぬ人となってしまった。 
２人とも即死だったそうだ、、、、 
弟はその年の暮れ、結婚する筈だった。母親もそれをもの凄く楽しみにしていたのに、、 

二人の葬儀の時、俺は、喪失感にさいなまれ何が何か判らなくなってしまい、ただただ 
静かに、葬儀を進行させていった。自分が今一体何の為に何をやっているのかすら解らず。 
涙すら出ないのだ。自分は、どこか壊れてしまったかのように。 

葬儀も終わり、納骨も済み、全てが、終わった。依然涙は出ず終いだった。 



その後、事故の相手と保険屋が家に来て事後交渉を始めた時 
母親の人生、弟の人生を何だと思ってやがると、腸が煮えくり返ってきて、その時 
初めて嗚咽混じりに謝罪を求めた。その時本当の憎しみ慟哭という物がどういう物なのか 
わかった気がした。 

それと同時に人を憎む人間になって欲しくないと、、諭してくれた母親の言葉も蘇り 
俺ははじめて人前で泣いた堰を切ったかのように泣いた。 

もうすぐ一年、未だ虚脱感からは抜け出せてません。今日も仏壇に手を合わせ、広い家で一人で 
過ごしています。 

いつかこの終わりの無い悲しみから少しでも立ち直れるかなー。
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   <title>私の父</title>
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   <published>2007-10-10T03:14:22Z</published>
   <updated>2007-10-10T03:40:00Z</updated>
   
   <summary>私の父は無口で頑固で本当にこわくて 
親戚中が一目置いている人でした。 
家に行ってもいつもお酒を飲んでいて 
その横で母がせわしなく動いていた記憶があります。 </summary>
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      私の父は無口で頑固で本当にこわくて 

親戚中が一目置いている人でした。 

家に行ってもいつもお酒を飲んでいて 

その横で母がせわしなく動いていた記憶があります。 


      
私が結婚する事になり、ドキドキしながら主人を連れて行くと 

ずっと黙ったままやっと口を開くと 

「ビールは何を飲むんや？」でした。 

その日はなんとか無事に終わり、式の当日終始酒をつぎにまわってた。 

その後、子供が生まれ少し育児ノイローゼ気味になった私を見て 

なぜか毎日孫の世話をしに来るようになった。 

当然子供の面倒など見たことないので、する事がめちゃくちゃで 

イライラしていた私は嫌味ばかり言ってしまった。 



２ヵ月後、あまり調子がよくないと言っていた矢先他界した。 

なんでもっと優しくしてあげなかったんだろう？ 

紙オムツの仕方を聞かれて、それぐらいわかるでしょって 

なんで冷たく言っちゃったんだろう？ 

あの日、自分でどうにかしようと思って変な形になったオムツが 

残されてた・・・ 

その後、毎日つけていた日記が見つかり、式の当日 

「あのバカ娘がとうとう嫁に行った。最後の挨拶では涙が出た。 

幸せになれ。」って書いてた。 

おまけに家には主人があの日答えた「アサヒビール」が 

押入れいっぱい詰められていた。 


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   <title>コロ</title>
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   <published>2007-10-09T03:09:36Z</published>
   <updated>2007-10-09T03:26:19Z</updated>
   
   <summary>うちにもコロという名前の雑種の犬がいました。 
長い白と茶の毛がふわふわしてる犬でした。 </summary>
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      うちにもコロという名前の雑種の犬がいました。 

長い白と茶の毛がふわふわしてる犬でした。 

      私が学生の頃、学校から帰ってくる時間になると毎日、 

通学路が見える場所に座って遠くから歩いて来る私を待っていてくれる利口な犬でした。 

それから10年程たち、家族は引っ越さなければならなくなりました。 

それは庭の狭い小さな家でしたが、もちろんコロも一緒です。 

しかし遊ぶ庭が無く、17才という年令もあって 

引っ越してから間もなくして、コロは足腰が弱り歩けなくなってしまいました。 

しだいに目も白内障になり、耳も遠くなりました。 

そして人間の認知症と同じでしょうか、朝晩の区別がつかず夜中に大声で吠えるようになりました。 

狭い住宅地では苦情が来た事も一度や二度ではありませんでした。 

しかし外でしか生活した事のない犬を狭い借家に上げるわけにもいかず、どうする事も出来ませんでし
た。 

それから半年後の寒い冬の日、コロはひっそりと息を引き取りました。 

18才の誕生日目前でした。いろんな気持ちが入り交じって、涙が止まりませんでした。 

翌日焼き場に行きお焼香をし、最後のお別れをして火葬の厚いドアが閉められた時、

目に浮かんだのは、帰りを待っていてくれたあの姿。 

待ち遠しくソワソワし、一点を見つめていたあの姿。急ぎ足で帰った通学路。 

コロ本当に心からありがとう。安らかに。

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   <title>野草摘み</title>
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   <published>2007-10-08T03:03:29Z</published>
   <updated>2007-10-08T03:23:20Z</updated>
   
   <summary>子供の頃、父が飲んだくれだった我が家は極度の貧乏だった </summary>
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      子供の頃、父が飲んだくれだった我が家は極度の貧乏だった 

      しかし明るい母は4人の子供とｱﾙ中の父を抱え朝は築地の魚市場、 

昼は貝類加工場、夜は寿司屋の店員と3つの仕事をこなしていて 

寝てる間に帰って来る、目が覚めるともういないの繰り返しで 

1週間のうち、貝類加工場が休みの土曜日の昼間だけしか顔を見る事が出来ない毎日だった。

そんなある土曜日、母がまだ就学前だった私を野草摘みに連れて行ってくれた。

普段、母と過ごす時間が無い私には春の野原で母と2人、

つくしやフキを摘んだ事が本当に楽しく嬉しかった。 


それから数十年が経ち飲んだくれだった父は他界し子供達も大きくなった。 

今では昔の苦労が嘘のような楽隠居生活を送る母に、

ふっと野草摘みの事を思い出し「あ～ちゃん（母の事）と野草摘みに行ったよね！

普段は顔も 満足に見られなかったから、あの時は本当に楽しかった！」と

何気なく言った私に「あの頃は貧乏だったからね…。

あんな野っ原に生えてる草まで食べさせて…すまなかったね。」と母が泣いた。 


子供だった私には、ただの楽しい野遊びだったけど

母に取っては子供達を飢えさせない為の苦肉の策だったんだね。ありがとう。 

それ以来、毎年この季節になると、あの楽しかった野草摘みを思い出しては、

ちょっと胸がつまる…あ～ちゃん長生きしてね！

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   <title>タスキ</title>
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   <published>2007-10-07T03:00:14Z</published>
   <updated>2007-10-07T03:02:14Z</updated>
   
   <summary>小さい頃、よく親父に連れられて街中を走ったものだった。 
生まれた町は田舎だったので、交通量が少なく、 
そして自然が多く、晴れた日にはとても気持ちのいい空気が漂っていた。 </summary>
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      小さい頃、よく親父に連れられて街中を走ったものだった。 
生まれた町は田舎だったので、交通量が少なく、 
そして自然が多く、晴れた日にはとても気持ちのいい空気が漂っていた。 

      
親父は若い頃に箱根駅伝に出たらしい。 
だから走る事が大好きで、息子にもその走る楽しさを教えてあげたかったのだろう。 
もともと無口だった親父も、走ってる時だけはずっと俺に声をかけつづけていた。 
普段の無口な親父がなんとなく怖かった俺は、その時だけは親父が好きだった。 
そしてお袋が作ったタスキを使って、駅伝ごっこをしてりしてた。 
今思えば、親父はまだ青春時代に生きていたのだろう。 

中学に入った俺は、当然陸上部に入部した。 
レースでは結構いい成績で、部活内でもトップレベルだった。 
毎回応援に来てくれる親父は、俺がいい記録を出した日には必ず酒を飲んでいた。 
そして真っ赤な顔して上機嫌で、俺に毎回同じ事を言うんだ。 
「お前と一緒に、箱根走りたかったなぁ」って。 

高校にいっても陸上は続けた。 
でも思うように記録は良くならず、さらに勉強についていけないのもあってか 
俺はいつもイライラするようになった。 
勉強の事には口を出さないくせに、陸上のことばかり気にしてくる親父の事を、 
鬱陶しく感じてしまうようになるのに時間はかからなかった。 
親父が期待してるのは知ってたから、余計に顔を見たくない気持ちだったのだろう。 
反抗期、というものだったのかもしれない。 


そんなある日、その日のレースもいい記録は出なかった。 
理由はわかっていた。 
数日前に定期テストの追試のために、勉強を夜遅くまでしていたから体調を崩していたからだ。 
一体自分は何をやっているのか、その時の俺は本当に悩んでいた。 
そして家に帰って、部屋のベッドでひとり天井を眺めていると親父が入ってきた。 

レースの事で何か言われるのかと、正直顔も見たくなかった。 
親父は俺の横に座って、長い沈黙の後にこう言った。 

「なぁ、お前何の為に走ってるんだ？　そんな眉間にしわ寄せてさ。 
　父さんはな、お前が・・・」 

親父がそこまで言いかけたところで俺の気持ちが爆発した。 

「うるせえ！出て行けよ！！親父には俺の気持ちなんかわかんねえだろ！！ 
　もう嫌なんだよ！親父の顔を気にしながら走るのは！ 
　勉強だってしなきゃいけないんだ！親父の期待は俺にとって重いんだよ！！」 

そう一気に言い切ってしまった俺を、親父は驚いた顔をして眺めていたが、 
しばらくすると悲しそうな顔をしながら俺を思い切り殴った。 
それからはむちゃくちゃだった。 
お袋が止めに入るまで俺と親父は大喧嘩をした。 

それ以来、親父と気まずくなってしまい、話す事もなくなり、 
そしてすぐに俺は陸上部を退部し、走るのをやめた。 
でも別に成績が良くなったわけでも、イライラが消えたわけでもなく、 
毎日悶々としていた。 


俺が部活をやめて２ヶ月くらいたった頃だ。 
親父が急に倒れ、病院に運ばれた。 
検査結果は末期の癌で、あと数ヶ月の命だろうということだった。 

俺はショックを受けたが、まだ親父とのわだかまりがあり、 
お袋に何度も誘われたが、見舞いにはなかなか行けずにいた。 
家と仕事先と病院とを行き来するお袋を見て、苦労をかける親父に腹が立ちすらした。 
そうしてる間に体力は徐々に落ちていって、 
親父はいつ死んでもおかしくないほど弱ってきた。 

そんなある朝、学校に行く前にお袋が思い出すように話し始めた。 

俺が高校に入ってからも陸上を続けた事を親父はすごく喜んでいたらしい。 
だから俺の記録がなかなか伸びなくて苦しんでる時、親父も同じように悩んでいたと。 
そしていつか俺が走るの事を嫌いになってしまうんじゃないかって、 
すごく心配してたらしい。 
なのにあの日俺と喧嘩したあと、一切俺が走らなくなったのに、 
なにも言わなくなったのだと。 

「あの人も頑固だからねぇ」とお袋は付け足して朝食の片付けをし始めた。 
俺はその話に何か引っかかるものを感じていた。 
学校に行ってもずっと気になり、勉強どころではなかった。 
そして休み時間、友達が「あの先生のせいで数学が嫌いになった」と言ったとき 
俺は気付いてしまった。

そうだ、俺はあの日、親父に言ってしまった。 
親父のせいで走るのが嫌いになったと、そう言ってしまったのだ。 
誰よりも走るのが好きで、そして誰と走るよりも、俺と走る事が好きな親父に。 

俺は授業そっちのけで病院に走った。 
道路には雪がつもり、何度も転びそうになったけど、 
もうしばらく走ってなくて心臓が破裂しそうなくらいバクバクいってたけど、 
それでも俺は走った。 
走ってる間、あの日俺を殴る前に見せた悲しそうな親父の顔が何度も頭に浮かんだ。 

病室に行くと、変わり果てた親父がいた。 
ガリガリに痩せて、身体からはいくつかチューブがでて、 
大きく胸を動かしながら、苦しそうに息をしていた。 

走ってぜぇぜぇいってる俺を見つけた親父は、 
「走ってきたのか」 
と消えるような声でいった。 
うなずく俺に、親父が「そうか」と言いながらベッドから出した手には 
ぼろくさい布が握られていて、それを俺の方に突き出し 
俺の手にぼろくさい布を渡してきた。 

それは小さい頃のあのタスキだった。 

「なぁ、走るのは…楽しいだろ」親父は笑いながら言った。 


その後すぐに親父の容態は急変して、そしてまもなく死んでしまった。 
葬式なんかで慌しく物事に追われ、ようやく落ち着いて部屋に戻った時、 
机の上に置きっぱなしにしていたタスキを見つけた。 

親父の夢は俺と箱根を走る事だった。そして俺にタスキを渡す事だった。 
もちろん一緒に箱根なんて走れない。それは親父が生きていても同じだ。 
でも親父は確かに、俺にタスキを渡した。 
なぜだか涙があふれて止まらなかった。 

そうだ俺は確かに、タスキを受け取った。 

冬が明けると俺はまた走り始めた。 
小さい頃に親父と走ったあの道だ。 
記憶にあるのと同じ木漏れ日、同じ草のにおい、同じ坂道。 
ただ違うのは隣に親父がいない事。 

今、俺は結婚して子どもが出来た。 
いつかこの子に、このタスキを渡したいと思っている。
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   <title>おもちゃ箱</title>
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   <published>2007-10-06T02:53:09Z</published>
   <updated>2007-10-06T03:02:53Z</updated>
   
   <summary>子供の頃、夏休みになる度に母方のばあちゃんちに遊びに行ってた。 
ばあちゃんちは、車で２時間くらいの山の中の集落。 
じいちゃんはとっくに死んでて、一人暮らし。近くにおばちゃん夫婦が住んでて面倒見てた。 </summary>
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      子供の頃、夏休みになる度に母方のばあちゃんちに遊びに行ってた。 
ばあちゃんちは、車で２時間くらいの山の中の集落。 
じいちゃんはとっくに死んでて、一人暮らし。近くにおばちゃん夫婦が住んでて面倒見てた。 

      
俺が遊びに行く度に、ばあちゃんは喜んでくれて、あれこれご馳走してくれた。 
俺専用のおもちゃ箱が置いてあり、プラスチックの野球セットとか虫かごとかが入ってた。 
「すぐ遊べるようにおもちゃ洗っといたよ～」ばあちゃんはニコニコしながら言ってた。 
すぐ裏手が山だったので、カブトムシなんかもたくさんいて、ばあちゃんちは結構お気に入りの場所だった。 

でも、それも小学校高学年まで。 
学校の友達と遊んでたほうが楽しいし、まして中学に入れば部活もあったし、 
自然とばあちゃんち訪問は夏休みの行事から消えていった。 
最後に入ったのは小5のときだったと思う。 

そんなのが寂しかったのか、夏休みが近くなる度にばあちゃんから電話が掛かってきてた。 
母親から「たまに顔見せて来いって」とも言われてた。 
その度に「う～ん」と生返事をし、やり過ごしていた。少しわずらわしくもあった。 
毎年、そんな感じで中学、高校の夏休みを過ごし、おれは大学生になっていた。 
 

大学３年の夏休み。8月になったばかりの昼頃。 
だらだら寝てた俺は、母親から叩き起こされた。ばあちゃんが亡くなった。 
その日、おばちゃんがばあちゃんちを訪ねたところ、台所で倒れていたらしい。 
なくなったのは前日の夜。くも膜下出血との事。 

ばあちゃんの遺体が夕方病院から戻るとの事で、母親と妹の3人でばあちゃんちに向かう。 
車は俺が運転した。なんか、現実感がない。ぼーっとしている。 
母親は助手席で黙りこくっている。妹は後ろで泣いていた。 

夕方頃、ばあちゃんちに着いて遺体と対面する。 
10年ぶりくらいの対面。でも、ばあちゃんは冷たくて、白くて、小さい。 
泣き出す母親と妹の横で俺はやっぱりぼーっとしてる。頭に靄がかかった感じ。 
涙は出てこない。（おれって冷たいのかな？）そんなことを思ったりしてた。 





679 ：大人になった名無しさん ：2007/03/05(月) 14:59:16 
&gt;&gt;678の続き　連投ごめん 

なんとなく居たたまれなくなって、庭に出てみる。 
庭の隅にある、ばあちゃんの納屋。子供の頃、よくここで遊んで怒られた。 
中に入ってみると、いろんなものが置いてある。 
全部、埃まみれ。この埃の匂いは子供の頃と変わらない。 

足元に俺のおもちゃ箱を見つける。 
プラスチックのバット、ボール、虫かご、ミニカー・・・ 
「？」・・・次の瞬間気付いた。 
これ、ひとつも埃が付いてない！ 

慌てて、箱を抱えておばちゃんのところへ駆け出す。 
「おばちゃん、これ・・・？」 
おばちゃんは最初怪訝な顔をしてたけど、俺の聞きたいことに気付いて 
「それねぇ、ばあちゃんが毎年、夏になると洗ってたのよ。 
Ｍちゃん（俺）がいつ来ても遊べるようにって・・・。 
もう、そんな年じゃないよって言ったんだけど、きかないのよねぇ。」 
おばちゃんは泣いたような、笑ったような顔だった。 

初めて泣いた。 
もう、箱を抱えて、座り込んで大声で泣いた。 

１０年もばあちゃんは俺を待ってた。 
俺のおもちゃを洗いながらずっと待ってたのに 
「遊びにおいで」何十回もばあちゃんは言ってたのに。 

なんでこんなに人は人のことをこんなに想い続けられるんだろう？ 
そして俺は、そんな想いを、こんな風に形にして目の前に出してもらわないと分からない。 
自分が本当にくだらなくて、愚かな人間に思えた。 

ばあちゃん、ごめんなさい。 
いつでも会えるんだから、と後回しにしてた。 
ばあちゃんがいることが当たり前だと思ってた。 
それが、ずっと続くことが当たり前だと思ってた。 

ばあちゃん、ほんとにごめんなさい。
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   <title>おにぎり</title>
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   <published>2007-10-05T02:48:45Z</published>
   <updated>2007-10-05T02:57:05Z</updated>
   
   <summary>もう２０年以上前の事でオンボロアパートで一人暮らしをしていた時の事だ 
安月給で金は無かったが無いは無いなりに何とか喰ってはいけた。 </summary>
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   <category term="33" label="人間愛" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
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      もう２０年以上前の事でオンボロアパートで一人暮らしをしていた時の事だ 

安月給で金は無かったが無いは無いなりに何とか喰ってはいけた。 


      隣の部屋には５０代くらいのお父さんと小学２年生の女の子が暮らしていた 

お父さんとは会えば挨拶する程度だったが娘の陽子ちゃんは仕事から帰ってくると 

いつも共同スペースの洗濯場で洗濯をしていたので。会う機会も多く良く話はした 


いつだったか、夕方「今日もお父さん遅いの？」「うん」などと会話をしてたら 

俺の腹が「グーー」「あれ？お兄ちゃん、お腹空いてるの？」「まあね」 

「ちょっと待ってて」と言うと部屋に入り、まもなくして　形の「いびつ」な 

おにぎりを持ってきてくれた。味も何も無いおにぎりだったけど俺は「ありがと」 

と言って、たいらげた。 


それから彼女と会わない日が続いた。どうしたのかな？と思う程度で気にはしなかった 

ある日、仕事から帰ると救急車が止まっていた。何だ何だと覗いてみる 

「何かあったんですか？」駆けつけてた大家さんに聞く。「無理心中だよ」 

「まいったよ、よそで死んでくれれば良いのに」と吐き捨てるように言う 

やがて救急隊が担架を運んでくる。顔までかけられた毛布がすでに死んでいるのを物語る 

あれ？担架に納まる身体が小さい。子供？ま・さ・か・・・。 


後から判った事だが、お父さんは病気がちで仕事もできず。ガスも水道も止められていたらしい 

最後の電気が止められる時、事情を聞きに市役所の職員が大家さんと訪問して 

事件が発覚したそうだ。食べる物も無く米どころか食品は何も無かったそうだ 


「あれ？お兄ちゃん、お腹空いてるの？」その言葉が脳裏に浮かんでくる 

あの時すでに食べる物はもう無かったんじゃないのだろうか？ 

たまたまお腹を空かしてた俺を、可愛そうと思い、あの小さな手で一生懸命おにぎりを 

作ってくれたんじゃないだろうか？自分の食べる分も無いのに・・・・。 

自然に涙がこみ上げてきた。やるせなかった。 

その後、間をおかず引越ししたが。今でもあのアパートの近くを通ると思いだす

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   <title>見知らぬ女性</title>
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   <published>2007-10-04T02:44:15Z</published>
   <updated>2007-10-04T03:06:01Z</updated>
   
   <summary>母というものを知らずに育っていた。 

でも、祖父母も父も俺を愛情を持って育ててくれていたし、祖母は事あるたびに母の悪口を言っていたから、会いたいと思ったこともなく、むしろ憎んでいたかもしれない。 
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      母というものを知らずに育っていた。 

でも、祖父母も父も俺を愛情を持って育ててくれていたし、

祖母は事あるたびに母の悪口を言っていたから、会いたいと思ったこともなく、

むしろ憎んでいたかもしれない。 


      
中学2年の夏休みの頃だったか、予定より早く部活を終え、帰宅すると、

家の前に見知らぬ女性がいた。 


にっこり笑いかけ○○君でしょ？って声をかけて来た。 

頷くと、祖母を訪ねて来たが留守のようなので困っていたとのこと。

待っていうちにお腹がすいて来たので、おごるから一緒に近くで食事をしないかと言われた。 

自分も空腹だったので、不審に思いながらも付き合うことにした。 


ファミレスで彼女は食事をしながら俺にわからないように何度も涙をぬぐっていた。 

俺もいくらなんでも彼女が何者なのかを察していたが、知らないふりを通していた。 


「おばさんのお父さんがね、昔、事業に失敗して大きな借金を作っちゃったの、

おばさん、保証人になっていたから借金取りが私のところにも来ちゃって大変だったのよ。

その時○○君のご家族にもご迷惑かけちゃって・・・」 

と離婚の原因になったようなことも話していた。 


その女性はそれ以降も何度か俺の前に現れては食事に誘ったりお小遣いをくれたが、

どこかのオバサンという認識でしか考えないようにしていた。 


でも、そのうち、彼女がやってくるのを心待ちにしていることに気が付いた。 
（決してお小遣いをくれたり食事を食べさせてくれるから、というのじゃなく） 

祖父母や父は絶対そんなことがあったことを知らないと思っていた。 


高校受験が間近に迫っていた頃、祖母がポツリと独り言のように言った。 

「そろそろ、母ちゃんって呼んでやりんさいな。あんたももうわかっとるんやろ？」

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   <title>うちのじいちゃん</title>
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   <published>2007-10-03T02:39:53Z</published>
   <updated>2007-10-03T02:49:57Z</updated>
   
   <summary>高校のころにあった話。 
うちのじいちゃんは元建築業ということもあり、
昔気質で子供の俺から見てもおっかなく、近寄りがたかった。 
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      高校のころにあった話。 

うちのじいちゃんは元建築業ということもあり、

昔気質で子供の俺から見てもおっかなく、近寄りがたかった。 

      はなれと母屋ですんでいたのに俺がじいちゃんに苦手意識を持っていたので

コミュニケーションというものが全くなかった。 

高校に入学すると、待っていたのはイジメの日々だった。 

クラスのやつらほとんどから無視され、一部のやつらから殴ったり蹴ったりされた。 

俺はいじめられてるのを家族に知られるのが嫌で

顔にアザができたときとかはわざと庭先で転んだりしていた。 

俺は学校へ行くのが嫌になり、いつも公園などで授業が始まるまで時間をつぶしていた。 

ある日、学校から帰ろうとすると、

家の近くでいつも俺に暴力を振るってくるやつらと偶然会ってしまった。 

そいつらと目を合わせないように通り過ぎようとしたが結局因縁をつけられ、腹とかを殴られた。 

俺は隙を見て逃げ出したが、俺の家の庭先の前で捕まり、再び暴力をふるわれた。 

すると、家からものすごい剣幕で助けに来た人がいた。じいちゃんだった。 

じいちゃんは俺を殴っていた３人の一人に飛び掛り、たちまちボコボコにした。 

残りの二人がじいちゃんを止めようと殴りかかっていくのが見えたので、

俺も必死でそいつらに向かっていった。 

結局騒ぎを聞きつけた近所のおじさんなどが喧嘩をやめさせた。 

じいちゃんも俺も不良３人もボコボコになっていた。 

じいちゃんは尚も怒りがおさまらないのか、

最初に殴りかかっていった相手の首根っこをつかみ、そいつの家まで連れて行った。 

母親がじいちゃんを心配してついていった。俺は母親に言われ自宅で待っていた。 

だいぶ時間が経って、じいちゃんと母親が戻ってきた。

俺はじいちゃんに「ありがとう」みたいなことを言ったが、じいちゃんは何も言わなかった。 

その日の夜、俺は母親に呼ばれ、話を聞いた。 


不良の家に行ったじいちゃんは玄関に入り、

出てきたそいつの母親にいきなり土下座して謝ったらしい。 

「お宅の息子さんをこんなにしてすまない」と。

「わしはどうなってもいいからどうか孫と仲良くしてやってくれ」と。 

もともと不良が俺を殴ったりしていたのが悪かったということで

じいちゃんや俺にはお咎めなしで警察沙汰にもならなかった。 

その話を聞いて俺は涙が出て止まらなかった。

明日朝一番にじいちゃんに話をしに行こうと思った。 

結局それ以降も学校でのそいつらの態度は変わらなかったが、

不思議とイジメも何の苦にもならなくなった。

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   <title>犬の十戒 </title>
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   <published>2007-10-02T00:10:29Z</published>
   <updated>2007-10-02T00:17:20Z</updated>
   
   <summary>私の一生は１０～１５年くらいしかありません 
ほんのわずかな時間でも貴方と離れていることは辛いのです 
私のことを買う（飼う）前にどうかそのことを考えて下さい。 </summary>
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   <category term="14" label="話" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
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      1. My life is likely to last ten to fifteen years. Any separation from you will 
be painful for me. Remember that before you buy me. 

私の一生は１０～１５年くらいしかありません 
ほんのわずかな時間でも貴方と離れていることは辛いのです 
私のことを買う（飼う）前にどうかそのことを考えて下さい。 


      2. Give me time to understand what you want of me. 

私が「貴方が私に望んでいること」を理解できるようになるまで時間を与えてください。 

3. Place your trust in me-it&apos;s crucial to mywell-being. 

私を信頼して下さい．．．それだけで私は幸せなのです。 

4. Don&apos;t be angry at me for long and don&apos;t lock me up as punishment. You have your work, your entertainment and your friends. I have only you. 

私を長時間叱ったり、罰として閉じ込めたりしないで下さい 
貴方には仕事や楽しみがありますし、友達だっているでしょう 
でも．．．私には貴方だけしかいないのです。 

5. Talk to me sometimes. Even if I don&apos;t understand your words, I understand your voice when its speaking to me. 

時には私に話しかけて下さい たとえ貴方の言葉を理解できなくても、 
私に話しかけている貴方の声で 理解しています。 

6. Be aware that however you treat me, I&apos;ll never forget it. 

貴方がどれほど私を扱っても私がそれを忘れないだろうということに気づいてください。 

7. Remember before you hit me that I have teeth that could easily crush the bones of your hand but that I choose not to bite you. 

私を叩く前に思い出して下さい 私には貴方の手の骨を簡単に噛み砕くことができる歯があるけれど 
私は貴方を噛まないように決めている事を。 

8. Before you scold me for being uncooperative, obstinate or lazy, ask yourself if something might be bothering me. Perhaps I&apos;m not getting the right food, or I&apos;ve been out in the sun too long, or my heart is getting old and weak. 

言うことをきかない、頑固だ、怠け者だとしかる前に私がそうなる原因が何かないかと 
貴方自身に問い掛けてみて下さい。 
適切な食餌をあげなかったのでは？日中太陽が 照りつけている外に長時間放置していたのかも？ 
心臓が年をとるにつれて弱っては いないだろうか？ 

9. Take care of me when I get old; you, too, willgrow old. 

私が年をとってもどうか世話をして下さい 貴方も同じように年をとるのです。 

10. Go with me on difficult journeys. Never say, &quot;I can&apos;t bear to watch it, or, &quot;Let it happen in my absence.&quot; Everything is easier for me if you arethere. Remember, I love you. 

最期の旅立ちの時には、そばにいて私を見送って下さい 「見ているのが辛いから」とか 
「私の居ないところで逝かせてあげて」なんて 言わないで欲しいのです 。 
貴方が側にいてくれるだけで、 私にはどんなことでも安らかに受け入れられます 
そして．．．．．．どうか忘れないで下さい 私が貴方を愛していることを。 

Author Unknown 
作者不明 

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   <title>お母さん会いたいよ8</title>
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   <published>2007-10-01T01:00:29Z</published>
   <updated>2007-10-01T02:35:26Z</updated>
   
   <summary>お母さんが死んだとき、私はまだ五歳だったね。 
あの頃は只、入院しているお母さんが別人の様で、怖くて悲しかったのを覚えてるよ。 
もっと沢山お見舞いに行ってれば良かったな。</summary>
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      お母さんが死んだとき、私はまだ五歳だったね。 
あの頃は只、入院しているお母さんが別人の様で、怖くて悲しかったのを覚えてるよ。 
もっと沢山お見舞いに行ってれば良かったな。
      お母さんが亡くなった時も、亡くなった後も 
私は、『死』が理解出来なくて、只お母さんが居ない現実があるだけだった。 

自分ではそれを受け入れられた―と思ってた。 
でも、思ってるだけだった。 

先日叔母に言われたよ。「まだ受け入れられて無い事、沢山あるんじゃない？」って。 


もうすぐ十三年経つよ。それでもまだ受け入れられずに、三日に二回はお母さんの事考えてる。 
おかしいよね。 

お母さんの事、もう殆んど覚えてないのに 
考えると涙が出てくるよ。 

会いたいなぁ。お母さん。 
何か言って欲しいよ。
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   <title>お母さん会いたいよ7</title>
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   <published>2007-09-30T01:56:46Z</published>
   <updated>2007-09-30T02:08:24Z</updated>
   
   <summary>夜中に大学病院からの電話で「危篤」と呼び出されて行った時、行ってすぐには母に会わせてもらえなかった。 
病院側で治療してる間中、ロビーで数時間、待たされた。 
入院した時点でもう助からないと言われていたので、すがる気持ちで祈るだけだった。</summary>
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      夜中に大学病院からの電話で

「危篤」と呼び出されて行った時、行ってすぐには母に会わせてもらえなかった。 

病院側で治療してる間中、ロビーで数時間、待たされた。 

入院した時点でもう助からないと言われていたので、すがる気持ちで祈るだけだった。
      やっと部屋に通された時には、チューブをいっぱいつけた母が、

苦しそうに歪んだ顔で固まって、意識ないまま横たわっていた。 


手を握って泣きながらずっと呼びかけ叫び続けた。 

あんなに大きな声で「お母さんお母さん！」て叫んでも母には届かず、朝方息を引き取った。 

その時、担当医師が「○時○分」と冷静に告げて後処理をし始めた。 

遺体の搬出や荷物整理などが、機械的な流れで淡々と行われていった。 

大学病院じゃ患者が亡くなるのは日常茶飯事だろうけど、

私にとってはこの世でたった一人の母なのに・・・ 

たとえ遺体でも、もう少し一緒にいたかった。静かに母と二人だけで、いたかった。 


その後も葬儀の準備とか忙しく、母の死を受け止めて実感できないままだった。 

骨になって自宅に戻った後、やっと二人きりになれた。 

あれから一年半近くが過ぎたけど、時間が立つほど寂しさと苦しさが増してくる。 

この先もっとこの気持ちが深くなっていくのかな･･･耐えられない。
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   <title>お母さん会いたいよ6</title>
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   <published>2007-09-29T01:55:28Z</published>
   <updated>2007-09-29T05:17:11Z</updated>
   
   <summary>夜寝る時に、目を閉じると母の事ばかり考えてしまう。 
しかも、元気な時ではなくて具合悪くなって検査受けた時～死までのつらい日々ばかりを。 
突然の余命宣告で地獄の一ヶ月半だった。</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://kinbosi.com/">
      夜寝る時に、目を閉じると母の事ばかり考えてしまう。 
しかも、元気な時ではなくて具合悪くなって検査受けた時～死までのつらい日々ばかりを。 
突然の余命宣告で地獄の一ヶ月半だった。
      真実を知らずに死んだお母さん、許してね・・・ごめんね、何もできなくてごめんね。 
一人で、病院の狭い相部屋で、どんな気持ちだっただろう。 
息できなくなって怖かっただろうな、苦しかっただろうなって想像するとたまらなくなる。 
ふっくら小太りだったお母さんが、あんなに小さくなって、骨にまでなって、もうこの世にいないなんて信じたくない。 

あとどのくらい？あと何十年も私は一人で耐えるの？ 
この一年半感じてきた辛さが、この先どのくらい続くの？ 
この気持ちを共有できる家族も私にはいないんだよ、お母さん。 
お母さんの側に行きたい。早く行きたい。
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